嘉七八ホーム・レジデンシャル株式会社

町田で新築を請け負い七転び八起きの精神で経営 ‐ 会社の原点とあゆみ

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東京都町田市能ヶ谷5丁目11番10号

会社の原点とあゆみ

会社の原点とあゆみ

HISTORY

弊社の原点は、群馬県で江戸時代から続く瓦製造業である小島工務店です。

大正時代には、東京へ進出し屋根工事業へと転換しました。その後、昭和になり事業を拡大し総合土木建設業を営んでおりましたが、昭和45年に小島工務店は廃業へと至ります。

このような背景のもと、平成になって新たに弊社を設立いたしました。七転び八起きの精神で会社経営を行い、家づくりを通じてお客様の夢を実現することで、地域社会への奉仕や貢献を行います。


沿革 - カナヤホーム・レジデンシャルの前身

明治時代

弊社創業者である小島忠嘉の四世の祖、高祖父 小島嘉七(初代)が現在の群馬県藤岡市にて江戸時代からの家業である瓦製造業を小島工務店として引き続き営む。また、小島嘉七(初代)、当時の藤岡瓦工業組合の初代組合長を務める。後に、小島嘉七(初代)の長子、小島由三郎が事業を承継する。

大正時代

大正12(1923)年に小島由三郎の長子である小島清治が現在の東京都新宿区弁天町に進出し、群馬県藤岡で瓦を焼き、東京都および群馬県で販売する瓦製造販売業ならびに屋根工事業として小島工務店を営む。

昭和時代

小島清次の長子である小島嘉七(二代)が、太平洋戦争後に有限会社小島工務店を設立し、瓦製造業/販売業から業容を拡大して総合土木建設業を営み、当時の厚生省施設や増上寺、大正大学巣鴨校舎などの大規模建設工事や屋根瓦工事を手掛けるが、昭和45年に廃業する。

平成時代

平成21(2009)年に小島嘉七(二代)の次男である小島忠嘉がカナヤホーム・レジデンシャル株式会社を設立する。

社名の由来

弊社の謂わば前身である小島工務店の屋号は「∧(山型)に加」の「ヤマカ」であり、その「ヤマカ」の「カ」をカナヤの「カ」としました。また、弊社代表者の高祖父および父の名である嘉七の「七」を「ナ」と読ませ、八はその形状から小島工務店に縁の深い屋根を意味し「ヤ」としました。また、今後、幾多の困難や問題にもめげず「七転び八起き」の精神で会社経営を行うこともこの会社名の中に表現しました。
「嘉」、「七」、「八」全ての文字が喜ばしいことや慶事を表すことから住宅の建築という縁起の良い事柄に相応しいため登記名称を「嘉七八ホーム・レジデンシャル」としたが、読み方を平易にするため表記上「カナヤホーム・レジデンシャル」を通常使用することとしました。
尚、八は末広がりに通じる縁起の良い数字でもあり、8のつく日は今日では住宅の上棟式など屋根に関わる行事が一年で最も数多く行われる日の一つとなっております。

藤岡瓦とは

西暦538年、百済から仏教が伝来し、この時代に瓦技師が来日し、日本寺院の造瓦を担当したのが始まりと言われています。 天平時代に各地において国分寺の建立が進むにつれて、瓦の需要が盛んになってきました。
上野国厩橋(現在の群馬県前橋市/群馬町付近)には国分寺が建立され、神流川流域で良質の粘土が産出したこともあり流域には北岸の群馬県側で「藤岡瓦」、南岸の埼玉県側で「児玉瓦」といった著名な瓦産地が形成され、その供用のための窯業が発展しました。
藤岡市金井には天平の頃に国分寺へ収めた瓦の窯跡があり、その国分寺瓦窯跡は藤岡市の市指定史跡となっています。この付近一帯は古代の窯業地帯と考えられております。 これが藤岡瓦の起源と言われております。しかしながら、昨今の日本家屋の衰退により藤岡瓦も同様に衰退し、現在においては瓦製造業者も少なくなり瓦販売業や屋根工事業に転じていたり廃業しているのが実情です。

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